勝鬨橋の由来は、勝鬨という言葉は、戦争、勝利に勝ったときに発する声という意味があり、日露戦争における旅順の陥落を祝勝記念として、築地に「勝鬨の碑」を建設し、築地と月島の渡船の命名を「勝どきの渡し」と名づけたことがきっかけである。
勝鬨橋は、1940年に完成。建設当時は、陸運より水運が多く利用されていたため、橋の中央が開く可動橋とし作られた。1日5回ほど開閉していた。1947年から1968年までは、橋上に路面電車も通行していた。橋の開閉は、道路交通量が多くなり水運利用が少なくなったことで、1970年11月をもって最後となった。2007年6月には、重要文化財として指定された。